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大きいツヅラと小さいツヅラ

4月の読書の話の続き。プリンセス・トヨトミに出て来る登場人物はどれも魅力的なんだけれど、読み終わって、私がいいなと思ったのは主人公大輔(女の子になりたいどんくさい中学生の男の子)の友人、ジャコ屋の島クンです。

大輔は女の子にはなれないにしろ、男らしくあることを強制する力の象徴、男子制服にはもう我慢できず、セーラー服を着て行くことで自分をあるがままの自分として通す決心をして、傍の心配をよそにそれを実行に移します。当然学校では大騒ぎになり、生活指導室に連行されます。そんなとき、担任の先生に大輔が自分の気持ちを振り絞って言う言葉・・・「確かにー僕が我慢したら、全部済む話なのかもしれない。でも僕はもう嫌なんです。じっと黙って演技するの、つらいんです。別に僕は誰にも迷惑かけません。ちょっと変わった子がおる、って放っておいてくれたらいいんです。それでも駄目ですか、先生?」

その大輔の言葉どおりの反応をしたのがジャコ屋の島クンで、彼は蜂須加のように力ずくで、女の子になりたいという大輔の存在を否定したり、茶子のように大輔を守らなければ、と自分と彼を一体化して蜂須賀に戦いを挑んで、よりいっそう大輔をややこしいことに追い込んだりはせず、「ま、(大輔のような)そういうのもありかもな。」と距離感を保ちつつ、本当に大輔が窮地に陥った時には自分がすべきこと、やれることとしてちゃんと手を差し伸べる。父親を亡くして、店の手伝いをしているという設定になっているから、中学生としては本当に大人なんでしょうね。そういう描かれかたをしていてる、島クンがいることでこの閉塞した大輔の中学生活が随分と救いのあるものになっているようにおもいます。ま、詳しくは本屋へ行って買ってくれ。

さて、とても長い前振りでした。

実は今回はロードークミアイのメシを喰うセンジューショキとしての立場も踏まえて、けっこうつまんないまじめな話です。ちょっとモヤモヤしていて思考が先へ進まないので、ほんとうはかすてらの話を書こうとしていたのですが、先にこっちをやっつけちゃいます。すんません、さんぱち先輩。

さて、私は現在ロードークミアイセンジューショキとして働いておりますが、以前正社員だったときは、バリバリの支部執行役員でありました。世の中はちょうどバブル全盛期で、男女雇用機会均等法世代の大卒女子がブイブイ仕事に邁進していた頃です。その頃いろいろ労働法も変わって、以前はあった女性保護の観点からの法律が、却って働く女性の足かせになっているっていうんで、保護的観点からの条項が見直されていました。会社からの労働協約改訂の申し入れを受け、執行委員である私達も議論を重ねたのですが、その時、特に強く意識したことは「どんな結論を出すにしても、必ず女性のいろいろな働き方を考える。男性以上に選択肢が分かれる女性の生き方をどの進み方が良い、悪いではなく、どれもアリだという前提で考える」という姿勢でした。

よく、女性なんだから女性の立場で意見を言ってね、てなことを言われますが、女性の立場っていったって千差万別なんだから、「自分の立場」でものを言うのと「女性の立場」でものを言うのとは全く違います。で、女性の側での立場で(もしくは誰かの立場に身をおいて)ものを考えるのには、女性であることも男性であることも関係なく出来ることだと思うわけです。要は想像力の問題でありましょう。実感を伴うかどうか、というのはまたちがったことだけれど、それは周りの人の話を聞いて想像して補う努力をすることで埋めることができるかと思います。

私の時代はようやく、結婚しても仕事を続ける人が増えてきたころで、まだねこてんさんのように育児勤務(制度としてまだ確率されてなかったですね)をする人はマレ、という頃でした。今は社報を見れば毎月育児休暇に入ったり、育児休暇があけて売り場に育児勤務しながら復帰したり、という人の辞令が当たり前のように載っています。一方で残念ながら離婚して名前がもとに戻ったのぉ~という人もいるし、もう一方でバリバリ働いて管理職につく女性もいっぱい出てきました。だからといって、それぞれの立場の人がみんな満足して生きていけるかというと、どの道に進んだところでそれぞれに困難があり(ねこてんさんがんばれ!)、また幸せもあろうかってもんです。社会的に、ねこてんさんのような働くママたちを支援する仕組みがもっと必要だし、一方で専業主婦がその仕事が金銭に換算されることがないからといって軽んじられるようなことがあったらそれも変な話です。私のように子供がいない、というのも同情されたり非難されたり、あるときにはうらやましがられたりというのもお門違いです。いろんな働き方、生きていき方がでてきて公にそれが語られるというのは、まだまだ問題点は多いけれど、良いことである、と私は肯定的に捉えています。

でも、まあ平たく言えば、みんなそれぞれの事情を抱えて生きている。それだけのことですよね。これだけ多岐にわたる生き方がある以上、それぞれの事情と各家庭、各カップルの順列組み合わせはもう無数・・・。家事の取り組み方だってその事情によって星の数ほどやり方があると思います。この事情だったらコレはあり、だとかこういう人はダメだよねぇ・・・とかそういうふうに一概にはもう言えない時代になっている、と思います。現実ははるかに進んでいる。

さて、その昔、私の仕事が一番大変だったときに(よりによって新婚時代だぜ)一番、萎えたのが同僚であるちょっと年上の既婚者(男性)に「ええ~そんなことまでダンナにやらせてるの?」という発言と、そういう奴に限って「ヤマダの旦那さんは良いよねぇ、かみさんが働いてくれたら楽だよねぇ」ということを盛んに言ってきて、いちいち反論するのがめんどくさかったことでした。夜遅くまで反省会という名のもとの残業のつかない会議が終わって、キミたちは帰ればお風呂とご飯がまっているだけだろうが、うちの羊はお風呂を洗い、明日のお弁当の為にお米を研いで、洗濯物をたたんで、遅い私の帰りを待っていてくれるんだよぉ・・・。チキショウ!と私の場合思ってもつまらんので、そんなことは考えずに温かい我が家へまっしぐらに帰ったけどね。ふう。

これは男の人にやって欲しくない、ということが人それぞれにあるかもしれない。それはその人の美意識で、よくわかるけれど、私のようにちゃんと自分の立場を言語化して反論できる人ばかりならともかく、うまく言えないひとだってきっといっぱいいる。だから専業主婦だって、子供がいたって、いなくたって、独身だって、バツイチだって、女性になりたい男の子だって、ゲイだって、いろいろとみんな大変なんだからさぁ、そっとしておいてくれないかなぁ。そういう人もいるよね、っていうくらいで許してくれないかなぁ。

女たるものかくあるべし・・・っていうのがあるとすれば、大きいつづらと小さいつづらがあったら、「女たるもの大きいつづらを持ち帰る気概を持て!」ってことぐらいで、でも現代はいろいろと複雑な社会になってきているのだから、よくよくふたつのツヅラを見比べて、持ったりゆさぶったりして中身を推測して、且つ敵の(?)裏の裏をかいて選ばなくっちゃいけないですね。

大きいのを選んで帰りに持ち運べなくなってタクシーを呼んだりするのは言語道断だし、小さいのを選んだから身軽で、といってデパートの特売場で散財したりも避けなければなりません。いついかなる時代であっても、どんな立場であろうとも、女たるもの(きっと男の人もね)大変なんです。だから、ただただみんな、がんばろうぜぇ。とエールを送る次第です。

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コメント

タイトルが「大きいヅラと小さいヅラ」に見えて、一瞬「ああついに男性読者への挑戦状が・・・」と思ってしまったワタシをお許しください・・・。

「女性はこうあるべき」な感覚、相変わらず強いですよね。
日本の場合、ジェンダー意識が根本的におっそろしく強いままで社会体制が中途半端に変化したので、女性にとっては本当に生きにくい国だとよく感じます。
男性の感覚もさることながら、女性の側の感覚も老若とわず「こうであるべき。こうであらねば」という通奏低音がけっこう強烈。
こういう国って、他にはせいぜい韓国ぐらいじゃね?とよく思います。

必要なのは「女性に理解を示すこと」じゃあなくって、「基本的な発想をニュートラルにすること」なんだと思うんですよねー、オトコもオンナも。

と、いうわけで、家事ダメなワタシは放置ORオットに押し付けで日々過ごしています。オットが長期出張にでると皿と洗濯モノがたまってかなわんのです。世間的にはワタシのようなのを「鬼嫁」というらしー。ふはは。

>アリーマさん

「大きいヅラと小さいヅラ・・・」どんな内容の男性諸氏への戦線布告となったでしょうね。「大は小を兼ねるとは言いがたい、サイズのあったヅラを選ぶべし!」とかいう内容なのかなぁ。いえ、髪がふさふさでもヤナ人もいるし、ツルツル(大好きだったお祖父ちゃんはウルトラマン型でした)でも素敵な人はいっぱいいるから良いのですheart02
え~っと、そうじゃなかった。
最初はちょっと違和感を覚えただけの、大好きな人のブログ記事を発端に、自分が抑えていた(忘れていた)嫌な記憶が呼び覚まされて、これはどうかして言語化しないと先へ進めないな、と思ったのでグダグダと長文を書きました。こんな私でも自分がイヤだったと感じた気持ちを人に説明しようとすると、気持ちの整理をするのにすごく時間がかかってしまいます。言語化したあとはけっこうスッキリだけど。きっとアリーマさんや私のように言語化することにある程度慣れている人、もしくは言われたらその場で言い返せるケンカなれしている人はまだ良いと思うのです。ちゃんと言葉にできない人だっていっぱいいる。そういう人のことも考えて欲しいよなぁ・・・と思った次第です。まあ、そのブログのコメント欄に「ほっといてよ」と書けば済む話だったのかもしれないけど。大好きな人のブログだったし、そこまで深い意味で書いてあったわけではなかったので、自分のところにこっそり書いて、すっきりさせたかっただけでした。

がんばります〜っ!
ありがとうございます!!

>ねこてんさん

ねこてんさんなら、みるこちゃんを自転車の子供用座席に座らせて、且つ大きなツヅラを前カゴに固定しておうちに帰れると思います。
保育園のお引越しがうまくいきますように。がんばってくださいね。

私は均等法2年目入社で、女性がいっぱい働く業界を選んでたんですが、それでも「萎える」オヤジコメントはいっぱい体験しましたねえ。イギリスに移住してからは、本当に「生き方何でもあり」をかなり受け止めている国なだけに、そういうストレスは減った気がします。日本も変わってはいると思うけれど、先日日本の映画を見て、映画そのものは好きなんだけれど、そこで描かれてる「若妻像」に、これって中年男性の願望じゃ?と違和感がありました。かくいう私は、家に帰ると半々くらいの確率でご飯が待っております…

…と、実はこのブログと同時期に、「いろんな生き方ありにしよう」という記事読んでました。こちらです:
http://www.cafeglobe.com/career/special01/vol3/index02.html

>倫敦さん

多分、それでも私達がかつていた業界はいろいろな年代の女性の人が働いていたから、心強かったのだと思います。
このブログ記事を書いて、すっきりした反面、ぐったりもしてしまいましたよ。「なにも今さらこんなこと、言わなくたって、軽くスルーしたほうが大人だよねぇ」という気もしたのです。書かないほうがよかったかな?とも思うのだけど、コレ多分私の姪っ子も読んでいるので、彼女には伝えたかったのよね。コメントいただけて嬉しかったです。ありがとうございます。

これは、ねこてんちゃんたちへのエールなのだろうと思いますが、立場の違うワタシも元気づけられましたです。
というのも、またもやNHKの番組の話でキョーシュクですが、こないだ「どーする未婚社会!」てタイトルのテレビ討論会みたいのをやってたんです。その内容はまあ推して知るべしでございますが、その番組を見た人の感想がネットに出ていたの。その中で働く子持ち主婦のご意見に

「家庭をもたない、子どもをつくらない人たちが市民権を得つつあるのはなぜ。自分の子供らが将来そういう人たちの面倒を見なければならないのは納得がいかない。お願いだからちゃんと家庭を持って」みたいのがありまして。 
同性だって、こういう考えの方もいるのです。子育てに仕事に奮闘している人にとっては、ワタシのような人間は許しがたい存在なのかなあなどと、しばらく「やさぐれさんぱち」になっていたのですが、にっきさんのブログ読んで救われました。独身も生き方のひとつに入れてくれてありがとう。ワタシができる社会への貢献は「納税」と「勤労」。そう、身体が資本。がんばります(ここで所信表明してどうするっての)

>さんぱちさん

エールの送り手はねこてんさん達に限ったことではありません。て、いうかさぁ、みなさんへのエールという形をとったヘタレな私からの懇願です。「放っておいてくれ~」という。
「正論」(だと強く思っている人が多く語る、一見正しいと見える論)には、ゆるゆるとした笑みを浮かべ「だって、仕方ないじゃ~ん」と脱力して答えようかと思います。
「勤労」と「納税」。そうそれぞれが自分が出来る事で社会に貢献しましょうね。幸せな顔をして毎日生きるっていうのも社会に対するちいさな恩返しだと思うしさ。

納税と勤労と…あと何でしたっけ国民の義務って?

子供を持つことが出来た有形無形の豊かさは何にも代えられないと実感しておりますが、選択肢は絶対あるからそこは本当に自由でよいのだと思います。例えば離婚。DVとか金銭問題とか男女問題とか性格の不一致とかやむにやまれず便宜上とか理由は色々ある中で離婚という制度(法律)は救いであったりするわけですけれど、今、世の中かなり変化してきましたがひと昔・ふた昔前なんざ「うっそー、あの人離婚してるんだー、やーだー」といった人非人的扱いを受けたりしてたわけですね。でもいちいち離婚理由なんて芸能人じゃあるまいし、(たとえゲーノージンであっても)斟酌されたくないですよねー。

人は節度を持ってきちんと接しないと相手のこと(立場)は判らないし、今そういう生身の人間同士が接点を持つこと自体若年層あたりから苦手な傾向にあるようですね。日本人に限るのかな?差異を認めて理解する というのはえてして日本全体に苦手なことのように思える。正論多いよね日本。でもにっきせんせいはそんな中で妙な目くじらを立てることなく、飄々と世の中を流しているようにお見受けします。これ、絶賛ですからね。いつも『オトナだぁ』と尊敬しておるのです。

>しゅうるりサマ

ど~こが「オトナ」なもんですか。
いつも目くじらたてて、キリキリして結果ズタボロですわ。
なんだか、今の世の中、マスコミがあおってるのかわからないけど、ヒステリックですよね。古舘サンの顔とか見てるともう少し冷静になれんのか?と思います。

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