フォト
無料ブログはココログ

« 年の瀬に | トップページ | 寒波襲来! »

年越し

2016年になった。

私達は年を越したけれど、母は2015年にとどまった。
ここから先はあなた達だけで行きなさいね、と言うかのように12月31日の朝に母は静かに息をひきとった。
心の準備も含め、いろいろ準備と覚悟はしていたのでこれといって大きな混乱もなく葬儀も無事終えて母も荼毘に付されたのだけれど、まぁ、考えれば精神的には壮絶な年越しだったと思う。これが他の月ならばまた違った印象だったのだろうけれどね。
そして母の死は昨年のことになったわけで、でもまだ2週間も経っていない。
忌引休暇と正月休暇が一緒になった休みが明けて普通に職場へ出て、たまってしまった仕事をこなし、年末ずっと病院で寝泊まりしていて帰れなかった自宅の大掃除をし、ブレーメンで初レッスンをし、登戸に顔を出して先生にご報告を兼ねて初レッスンをうけさせていただいて、それから母のマンションの片づけをするために実家にひとりで2泊した。
葬儀から一週間。充分かもしれない。
何かしてないと悲しいから、というのとも違い、年を越してしまった者の務めとしてできることから淡々とこなしていかないといけないと、どこかで思い込んで前のめりに気持ちがなっているようにも思う。
もう少しペースダウンしてもいいのかな?
片づけても片づけても終わる気のしない実家の片づけ。でも確実に母の遺品は処分されていく。
生前、母が元気だった頃に「親の家の片づけ」が話題となっていて、母が「あれも片づけないと、こっちも片づけないと」と言っていたので、「余生をそんな片づけて費やしてはもったいない、お母さんが死んだら私が躊躇なく全部捨ててあげるから。」と言ったことがあった。
その後、母は「のりこが全部片づけてくれるって」と傍に笑って話していたっけ。
言わなきゃよかった。
晩年に便利だからと言って買いためたプラスチック製品なんかは、なんの躊躇もなく捨てられるけれど、食器はいちいちそこに盛られた母の手料理が思い浮かんでキツイ。
「これは春に蕗とがんもどきの煮物を入れる鉢」「南瓜の煮ものはこの器」なんて思い出すとキツイなぁ。
だいいち、母のお茶碗はどうしたらいいんだろう。
途方に暮れる。
もう十分大人なので、けっこう普通に元気に暮らしているのだけれど、まぁ一年はダメでしょうね。大人の自分を過信せず、途方に暮れる小さい自分をなだめつつ、ボチボチと歩き始めた2016年であります。
そんなこんなな日常ですが、納骨が終わって引っ越しとかが始まるとまた夜遊びができなくなるので、今のうちだれか遊んでくださいなぁ。

« 年の瀬に | トップページ | 寒波襲来! »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

にっき先生、ご無沙汰しています。
お母さまのこと、いま知りました。
私の母親のときのことを思い出しました。
先生も疲れが出てくるころだと思いますので、無理せずお体ご自愛ください。

おそくなってしまいましたが お母さまのご冥福をお祈り申し上げます

るるさん

どうもありがとうございます。
暮れまで、常に「母が待っているから」と小走りして用事をこなしていたのが、もう誰も待っていないんだなぁと思うと、自由で寂しくてぽっかり穴が開いたようです。
で、しばらくしてから、「そうだ、羊が待っているっけ」と思い出すというそんな日々ですが、それにもそのうち慣れるんでしょうねぇ~。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/269490/63434313

この記事へのトラックバック一覧です: 年越し:

« 年の瀬に | トップページ | 寒波襲来! »

2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30