かすてらの話
やっとさんぱちさんに予告していたかすてらの話に辿り着きました。
ことの発端はさんぱちさんが書いていらしたNHKの深夜の番組「タイムスクープハンター」の「リストラ武士の奮戦記」でありました。明治維新で一気にリストラの憂き目にあった若い武士が、当時流行のかすてら屋さんに修行して、紆余曲折を経て今まで固執していた武士としてのプライドを捨て、新しい時代に船出していく・・・・とまるでこの番組を見たかのような書き方をするけど、要約するとこんな話で良いんでしょうね?さんぱち先輩!
で、さんぱちさんが「詳しいあらすじはこちらで」とリンクを貼っておいてくれたタイムスクープハンターのHPを拝見したら、そこでかすてら屋の親方が持っているかすてらが丸くて、「あ!」と思ったわけです。この時代、かすてらは「丸型」でありましたか。
それから日を置かずして私は登戸の教室に、S崎さんの安産祈願かすてらを焼きに参りました。良いかすてらを焼けて、先生にも褒めていただけて、気分がほぐれたところで、この番組の話を先生にしてみました。
「先生、明治維新の頃のかすてらって丸型だったんですか?」「そうだよ。」「え?では型は曲げわっぱとか?」「銅だよ」「ええ?ではどちらかというと今でいうスポンジケーキみたいなもんだったのですか?」「やっと、この時代にスポンジケーキみたいなものまで辿り着いたんだよ。」「ええ~?」
どうも私自身の思い込みが今まで強かったようです。かすてらが南蛮から日本に入ってきてすぐに日本では木枠を使っていたと思い込んでおりました。
さて、そこから先生のかすてら伝来持論が始まりました。先生の説はかすてらはポルトガルの宣教師によって伝えられた「パン・デ・ロー」が元祖だろうといわれているけれど、先生としてはあんな菓子(スポンジ)が長い長い航海に保存できたとは思えない。もしかしたら中継地のマカオあたりで焼かれたものを持ち込んだのかもしれないが、それより最初は「かすてらぼーろ」のような乾いたものだったと考えたほうが自然である。最初は日本では「紅梅焼き」のようなものとして広まったのではなかろうか、とのものでした。
で、やっと明治維新の頃に銅の型をつかってふんわりとしたスポンジ状のものができるようになったのですね。今のように木枠を使って大きい形状のものが焼けるようになったのは、ガスオーブンの発展によってなんだよ、とのことです。それまで下からの火力しか得られなかったものがようやく横からの火力を得、そして上からの火力が可能になったオーブンの発展によって現代のカステラの製法が確立したのだそうです。先生曰く「大正時代がいいとこじゃない?」
意外と新しいお菓子だったのね?かすてら。ハイカラなお菓子でありました。そして上火という力を得てからは、効率よくオーブンいっぱいに焼ける長方形の木枠が採用され、パサパサした味はどうもねぇ~という日本人の(というか日本の風土が求める)食味にあわせて、生地の蒸気を閉じ込めつつ焼きあげるという独特の焼き方に発展していったのでありましょう。
武士階級の人が明治維新後に職人に~という話も多いに有り得る、という話でした。かすてら一番電話は二番、三時のおやつは文明堂♪の文明堂さんの始祖のお名前は「中川安五郎」さんだけれど東京進出を果たした実弟は宮崎甚左衛門というご立派なお名前。武士階級からの転身、大いに有り得ると先生も語っておられます。
あと、日本国内でも長崎からどのように伝わっていったかその道をたどると・・・というお話も聞けて、さんぱちさんからの情報が思わぬ形で先生とかすてらを熱く語る、という楽しい時間に変わりました。ありがとうございます、さんぱち先輩。
かすてらの起源については福砂屋さんのHPのが一番詳しいです。福砂屋さんが監修したのかな?かすてらについての立派なご本は先生のところにも送られてきていて私も目にしたことがあります。
さて、そんなわけで「かすてら」ですが私にご注文いただけても、なかなか焼けないのが現状です。(現在順番待ちの方が・・・すいません。)でも登戸の教室でしたら、先生の監修のもと腕利きの生徒さんが焼きますので、ご注文が可能です。私がその場にいたら焼かされるかもしれないけど、私より腕の確かな若手が焼くことが多いと思います。興味のある方は登戸の先生のほうへお問い合わせ下さい。でも、このブログのことは先生にはナイショにしているので、くれぐれも私の名前は出さないでください。そこのところだけひらにお願い申し上げまする。

































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